囲炉裏のおうち宿「したんどう」根本 定夫さん

自然のリズムの中で

根本 定夫さん

清流早川に掛かる草塩橋を渡り畑の中の坂道をたどり やがて見えてくる古民家。少し傾斜のきつい階段を上がると現れるやや小さいながら趣ある門扉。少しのどきどきと期待を抱きながら引き戸に手をかけました。ここを訪れる人達もこんな気持ちでこの門をくぐるのかなと思いつつ草塩集落を見下ろす高台にある囲炉裏のおうち宿「したんどう」の根本定夫さんにお話しを聞いて来ました。

囲炉裏のおうち宿「したんどう」仕事の流儀

「したんどう」を起点として自然豊かな早川を楽しみ、田舎を体験されたい方や移住をお考えの方のお試しの場所としての施設としてご利用していただき、一人でも多くの人に早川のファンとなっていただけたらと考えています。 お客様にもホスト役であるスタッフとご一緒に食事の準備をし、一緒にいろりを囲み、会話 と食事を楽しむ、そんな時間を大切にしたいと考えています。(コロナ禍を除く)

自己紹介/施設・業務内容の紹介

東京から早川に来て早15年、年のせいもあるのかあっという間の15年でした。 早川に来てからの生活は以前とは全く違い、時間に追われる事もなく殆どの事が自分のペースプラス自然のリズムの中で生きているって感じです。 そんな私の早川での生活はと言うと、まずベースはお勤め、まだ月に半分程度町内の会社に勤務しています。そして残りの半分に「したんどう」の営業や諸々の作業、また季節になれば稲作りやそば作りに野菜作り、そんな感じの早川生活。自分のペースでのんびりゆっくり楽しんでいます。

したんどうの仕事は何ですか?

簡易宿泊業 (旧友のおうちに遊びに来たつもりでゆったりと田舎の暮らしを楽しんでいただく事。)

始めたきっかけ

たまたま空き家となってしまった家(現 したんどう)の扱いに困っていた持ち主の方に当時都市部から農業体験にやってくる子供達の休憩場所を探していた私が集落の知人を通してお借りすることが出来ないかとお願いし、お借り出来ることとなりました。その際、どうせお借りするならその経緯も考え集落のためにちょっとでも貢献できるようなものと考え、持ち主様のご理解とご厚意の下、都市と農村が繋がれるような宿泊業を始めることとしました。

したんどうの夢

大人も子供もなく「それぞれが役割を持って宿泊するというアクティビティ」を楽しめるような場とする事。(バーチャルではなくリアルな体験を大切にしたい) 具体的には大人も子供も一緒に食材の収穫・食事の準備そして火おこしやお風呂沸かしなどを一緒に失敗しながら楽しみ、笑顔があふれるような場となればと考えています。

早川の魅力

一言で言うと「自由」 「自分の可能性を広げられそうな気にさせてくれるし、やる気次第でチャレンジできる」

早川で一番好きな場所

草塩の河原、弊館庭先(集落の風景)、畑の中の道

 

囲炉裏のおうち宿「したんどう」は窓がたくさんあるリノベーションしたきれいな古民家です。伺った時根本さんは庭先でフェンスの補修作業をしていました。「一人だともう一歩が出ない。もう一つここまで出来れば、というところまで行かないから花開く前に終わるんじゃないかな(笑)」したんどうのリノベーションはまだまだ途中なのだそうです。「それなのに直す所が出てくるんだよね(笑)。一人はどこまで頑張っても1倍、二人は2倍以上になる。」畑にネットをかけるとかそんなちょっとした作業にしても手間取ってしまう。「全然進まない、1倍にもならない(笑)」田舎暮らしは仲間であれ家族であれ、相方や協力者がいないととても大変‥。こちらに来てからつくづく思ったと言われました。

根本さんが宿泊業を始めた経緯は伺ってはいたのですが、以前からやってみたかったとか何か思い入れの様なものがあるのかなと思いお聞きしたところ、「特に強くやりたいと思った事はなかった。だから気苦労とか大変さはあまり、いや全然考えてなかった。」人と接する事もあまり深く考えず、ただ早川に人が来てくれれば良いなと思ったと。深く考えずに宿泊業が始められると言うのはすごい事だなと率直に感じました。

したんどうのコロナ以前のお客様の割合は日本の方、海外からの方、おおよそ半々ぐらいだったといいます。「海外から来る方は日本語を余り覚えようとはしないんだよね。英語のまま身振り手ぶりジェスチャーで伝えてこようとするから。ただ、こちらの意思を汲み取ろうとはしてくれる。」笑いながらサラリと言う根本さんですが、この感覚はある程度の経験値がないと身に付かないものの様に思います。「宿泊の予約が入ってからの対応がちょっと大変なんだけど、来てくれれば何とかなるんです。そこからのおもてなしは近所のおばあちゃん達の方がいい位(笑)」自分が海外に行ったとしてもそれで良いと思う。それが逆に楽しい、外国に来たって感じするじゃあないですか。とまた楽しそうに言われました。 根本さんの前職は東京の大手の会社だったのだそうです。全くの畑違いのようにも思えますが、見ず知らずの人は勿論、国や人種や言葉の違いを障害にすることなくコミュニケーションがとれる要因はこの辺りにもあるのでしょうか。

その海外のお客様についてもお聞きしたいと思っていました。 日本の名の知れた観光地ではなく、遠い国から山奥にある早川町を選んで来てくれたことについては、「ここにくるのは旅慣れた人達なんですよ。有名な観光地はもう回っていて、ディープな日本を探しにくる。なのでよく分かってくれていて布団なんかもちゃんと片付けてくれたりしますよ。」根本さん自身も他国の文化の違う人達と話が出来たりすることはとても楽しくて、宿泊業をやってみて良かったなと思うと言います。したんどうの特色の一つがお客様と一緒に台所でお料理して食事も楽しむ事ですが、それもかなり喜ばれているそうです。 コロナで邪魔をされましたが、素の日本に触れたいと思う外国人観光客の方にもまた早川町を訪れていただきたいなと思いました。

根本さんはインフラとしてのインターネットも普及しているのだからもっとワーケーションに活用してほしいとも言います。「例えば夏に一週間程早川町にワーケーションに行ってくるとか言ってさ、ここに来てちょっと外で仕事したいなんて言ってパソコン抱えて川原に行ってさ、足を川に浸しながら仕事なんて出来たらもうすごいリゾートになるよね〜」と また楽しそうに話す根本さん。その内数年したら早川の川原でパソコンを叩く人が増えてくるかも知れません。

 

👀筆者主観的目線👀〈緑の平野〉

根本さんは茨城県のご出身だそうです。広い平野の中で野菜作りや米作りが盛んな地域で育ち、ご実家も米農家を営んでおられ手伝ったことはないそうですが、おおよそ大体のやり方や感覚は解っていたと言います。ご実家や周りの農家とそのお付き合いなどから農村、農業とはこのようなものだとも理解していたとも。長い間東京の会社にお勤めしてその後に違う何かを始めたいと思った時にベースとなったのは、郷里の記憶だったのではないでしょうか。今の根本さんの暮らしの中にもその記憶は息づいていて、地域に馴染む事にとても役立っているとも言われました。それは田舎暮らしの中での人の距離感やお付き合いなど、移住してきた人がまず壁になりそうな問題をクリアするにあたり助けになってくれた様です。 海外のお客様もそうですが大らかに人と相対する事が出来、そして地域の中でしなやかに馴染み、今や集落の貴重な担い手となっている事は、郷里の穏やかな平野の風景と周りにいた人々の記憶のおかげなのかも知れません。

取材:望月 千賀子

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