硯匠庵 館長 天野 元
雨畑硯を愛する職人肌
雨畑硯(あめはたすずり) 硯匠庵
天野 元さん
Hajime Amano
1947年2月20日生
居住地 | :早川町雨畑 |
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出身地 | :早川町雨畑 |
好きな言葉 | :質実剛健 雲外蒼天 |
趣味 | :狩猟 養蜂 |
早川町で一番好きな場所 | :居住地 |
職種 | :館長 |
スキル | :養蜂の扱い、(硯刻) |
日本全国でも数箇所しかない硯の生産地。そのうちの一つがここ早川町雨畑集落の「雨畑硯(あめはたすずり)」です。この早川町雨畑川上流の坑道から産出された源石を加工し、販売を行っているのが「硯匠庵」です。ここに雨畑硯をこよなく愛する男、館長の天野元さんがいます。
天野さんは長年働いた職場を退職後、「雨畑硯を後世に残していきたい」という強い想いを胸に施設の運営を決意しました。今では、天野さんと、唯一の職人でもある望月玉泉(ぎょくせん)さんの二人で主となり運営し、日々、ツアー客や書家の方々に雨畑硯の素晴らしさを伝えています。
ギャラリーを覗くと雨畑硯のことを熟知した天野さんが、その知識を余すところなく教えてくれます。硯のきめ細かさを顕微鏡で確認しながら、なぜ雨畑硯が良いのか、どこが他の硯と違うのかを丁寧に教えてくれます。また日本から中国までの硯の産地を硯の特徴を交えながら解説してくれます。その眼差しは、まさに真剣そのもの。天野さんの雨畑硯への愛がひしひしと伝わってくる瞬間です。
天野さんは「受け継がれてきた技術もつ職人さんと、素材の良さを最大限に活かした商品開発も行なってきているから、原石がなくならない限り可能性はたくさんある」と語っています。 天野さんは雨畑硯を買う買わないに関わらず、電車で来たいと言うお客さんがいれば、近くの駅まで迎えに行く。また研究開発にも熱心で雨畑硯に興味がなくても、楽しんでいただけるように自身で彫った雨畑真石のアクセサリーや美容グッズなども考案し販売しています。 また職人の後継者を探しながら、集落のリタイヤ組にも「趣味でもいいから硯を作りにこないか」とよく声をかけています。 生まれ育ったこの雨畑と雨畑硯に対する想いが強く、「硯は地域にとって心の支え、この硯を一つの文化として捉え、残していきたい」と語ります。
趣深い早川町
近頃、寒々しい景色から色づきだす春先には、胸が高鳴るそうです。 雨畑から役場に降りていくと、山上の積雪の白、冬木の茶、芽吹きの黄緑と、風景が変わっていくのを見ると、しみじみと「あぁ、このまま時が止まって欲しいなあ」と感じるそうです。
雨畑真石の坑道
最後に天野さんに坑道を見学させていただきたいとお願いすると、快く案内してくださいました。場所は想像していたより山深く、道のりも険しいところでした。坑道内に入ると、奥まで広がる荒い岩肌が荘厳な雰囲気を醸し出し、早川の自然の神秘を肌で感じることができました。
地域の産業の中心であった雨畑硯、それを支えていたこの坑道を、天野さんが「地域の宝」と語る所以がわかった気がします。ここに長年通い続けることによって生み出されてきた、雨畑硯の数々には天野さんや職人さんの想いが詰まっているのだと感じます。
【雨畑硯と硯匠庵】
地元の言い伝えによると、雨畑硯の歴史は700年前に遡り、日蓮大上人の弟子、日朗上人が雨畑川上流で地元民に彫らせたところから始まったと言われています。その後、明治には最盛期を迎え、多い時には100名以上の職人がいました。しかし、高度経済成長期に顕在化した高齢化によって雨畑硯を作る職人もいなくなっていき、存続の危機が訪れたのです。 そんな時、旧村単位で地域の拠点を作ろうという町の方針により、当時の国土庁の事業を活用して雨畑に「VILLA雨畑」という宿と共に、硯専門の会館「硯匠庵」が2000年につくられました。
「雨畑硯」は雨畑に古くから伝わるもので、平成6年に伝統的工芸品として県の認定を受けています。製造の作業は、坑道から原石を採取するところから始まり、仕上がりまで約6つの工程があります。原石は雨畑真石という全国でも有数の上質な石であり、坑道は、早川町合併前の旧村に由来する硯島財産区有地となるため「地域の宝」として大切にされています。
編集サポーター
藤井紘司さん(早稲田大学人間総合研究センター 招聘研究員)
新竹哲明さん(早稲田大学人間科学部 学生))
井上真教授(早稲田大学人間科学学術院 教授)