西山温泉慶雲館  佐藤 舞さん

歴史を繋ぐという仕事

全館源泉掛け流しの宿 西山温泉 慶雲館
佐藤 舞さん

清流早川沿いに遡り深く急峻な谷に分け入り、幾つもトンネルを抜けたその先に西山温泉はあります。温泉入り口のカーブを抜けると忽然と姿を現す壮麗な佇まい。重厚な歴史と豊富な温泉資源、恵まれた四季折々の自然環境などで名高い慶雲館です。その慶雲館で女将を務める佐藤舞さんにお話を聞いて来ました。

この仕事に取り組む上での流儀などはありますか?

いや、無いです。目標のようなものは持たないようにしています。毎日お客様が変わるので、毎日同じ事は出来ないのです。その都度変えていかなくてはいけない。うちの従業員にも言っているのですが、お客様に笑顔で帰っていただく事が一番なので。それが出来る様に接する様にと。自分自身にも余り「これを!」というのは持たないようにしています。余り自分の型に嵌りたく無いので。

慶雲館ならではのおもてなしのプランとは?

いずれもお客様の声やご意見を集めて出来上がったのがあのプラン達です。お発ちの時間をゆっくりにしたいというお客様やお子様連れで他のお客様にお気を遣われる方々向けのプランなどどれも大切なものです。また普通の食事では出せないけれど、こういったものもありますと知っていただく為の料理長考案のプランもあります。

[コロナ禍]どの様に超えて来ましたか?

かなり長い間休館しましたね。その間普段やれない様なメンテナンスを行なったりしました。やがて少しずつお客様が来て下さる様になりましたが、最初の頃はコロナ禍の旅行に出掛ける事の後ろめたさを感じていらっしゃる方がすごく多かったですね。そういった方のケアでしょうかね。来て下さったのだからそういったお気持ちは一旦置いてせっかくなので楽しんでくださいと。 うちはお陰様で繁華街ではないので地理的な事からも返って来やすかったみたいでした。 人がいなさそうだから‥という理由で来て下さっていました。

慶雲館の“夢”とは?

うちの社長は常々言っていますけど自分達の代で終わらせる訳にはいかないと。ずっと継承して行ける様に日々努力を惜しまずに、と。歴史を引き継いで受け継いで‥。それは失くす訳にはいかない。 慶雲館の今の社長は53代目なのです。その流れが次の世代へと繋がっていける様に。それが〈夢〉なのじゃないかなと。

ギネス認定について

私達も昔の話すぎて正直705年開湯とか言われても(笑)。ただそれが継承されて、今現在まで引き継がれて来て。そして前社長の時にギネスの認定を取れたという事はきちんとした何かが残っていたという事。そう考えると本当にすごい事なんだなあと。でも何となく重すぎて(笑)“すごい”と言葉には出せますけどじゃあ具体的に何?って。遠い昔すぎて(笑)。温泉はお陰様で遠い昔の時代から今でも絶え間なく出ているので、後は私達がそれをどう守って行くかどうやって知ってもらうか、それらが現代にここにいる自分達がやっていかなくてはいけない事だと思います。慶雲館を知っていただくのには何が良いのか、と皆で考えながらやっています。

慶雲館の中で好きな場所を教えて下さい

フロントから見えるロビーのこの風景が好きです。四季で景色がどんどん変わって行く。今のこの冬の落葉樹の景色もこれはこれで今しか見られないですし、これに雪がかかると美しいですよ。ロビーに入ってくるとこれだけ大きなガラスでパノラマ的な絵が目に入ってくる。フロントから見ると一番景色の移り変わりが見えるので。

早川の魅力を教えて下さい

四季を感じられるのが魅力じゃないですか?しっかり春夏秋冬を肌で感じられる。都会とかにいると冬でも袖なしワンピースとか普通に着れますけど、ここにいたらそんな格好していたら‥。やはりあとは人が温かい、優しいかなあと思います。そんなにたくさんの人と関わる訳ではないですけど結構ウエルカム的な方多いように思います。

これは是非言っておきたい、という事があれば

早川町の行き止まりに近い所にわざわざ来て下さるという事。ここに来て日々の喧騒から離れてお過ごしいただけると思うので、十分堪能してリフレッシュしてお帰りいただける所ではないかなぁと思います。せっかく来たら自然を堪能していただきたい。大体の方々は皆さん、「やっと着いた」っておっしゃるんですよ。私も最初そうだったから、本当によく分かりますよーって。不便だけどこの道を来るから実感が湧くんですよね。だから変わらないでほしいって声はたくさん聞きます。そう言っていただくと本当にありがたいなぁと。私達はここを頑張って継続をして継承していくだけですね。 やはりね、早川町を知っていただかないとね。今色々な所で町おこしとかされていて面白い事をたくさんされている所もありますよね。そう慶雲館だけではだめです。早川町も何かひとつ当たればね。おじいちゃんおばあちゃん多いからそれを生かして何かとかね‥。

 

 

 佐藤さんが慶雲館の中で一番好きな風景です、と言われたフロントの前にあるロビーでお話を聞けました。 今から15年ほど前に初めて早川町に訪れ慶雲館に勤め始めたそうです。神奈川の都会育ちだった佐藤さん、来たその日から驚きの連続だったそうで、「街中で駅前に住んでいたので来た瞬間、無理だと。」コンビニは一軒も無く 銀行郵便局も車が無ければどこにも行けない。車は絶対に手放せないな‥、とか。そういう中で仕事も辛い時、苦しい時、泣く事もあったけどその中でもやりがいを見つけてここまで来る事が出来ました。と言われました。それはやはりお客様との出会いから生まれるもので、この仕事をやらないとわからない感情。何回やめようと思ったかわからないけどそれ以上のもの、お金ではないお金では買えないものを沢山お客様からいただきましたねと。例えば、以前ご利用していただいたお客様が自分目当てでまたリピーターとして帰って来てくださる。そういう事ってあるんだと学んだというか気付いたというか。と話され、そういったお客様がいて下さったからこそです、とも。 お客様からのクレームに関するお話も印象に残りました。 佐藤さんがまだ仲居さんだった頃、クレームについて今の社長から言われた事で、「クレームは自分自身を成長させてくれるものだから決して後ろ向きに考える必要はない。教えてくれたんだから“ありがとう”だよ」と。それまでそんな事考えたことなかったです。と言われました。[怒られている]をそこまで持っていく様にできるまでは時間かかりましたが。と、当時を振り返る様に話されました。指摘された事は言っている人が違うだけで、誰に言われてもそれこそ親に言われている事かもしれない。その方の言っている事全部が全部正しいとは限らないけど、気づかせてもらったなと。そしてそういう風に見えてしまった、そういう気分にさせてしまったという事です、と。 お聞きしていて旅館のクレーム対応に関してだけのお話ではない様な気がしました。 そして旅館の従業員の指導も女将の役割の一つですが、こちらも立場こそ違うけれど人と接する仕事であり毎日の心配りが必要になります。佐藤さんが従業員に常々指導している事の一つが『初心忘るべからず』の気持ちですと言われました。建物が大きく中も広い慶雲館、一日一回は全体の案内図の前で場所を確認しているお客様がいらっしゃるといいます。その様な場面ではお客様が迷われて、不安に思われている状態を払拭出来る様に声を掛けて差し上げなさいと。その時に大切なのは自分がここに初めて来た時の事を思い出して欲しいという事。この館内をやっと覚えるまで一週間はかかるそうで、その気持ちが理解できるはずだから。声をかける従業員もかけられるお客様も双方が気持ちを大切に出来るおもてなしの指導なのだなと思いました。

👀筆者主観的目線👀〈ごめんなさい と すみません〉

佐藤さんと言葉の重さの様な事についてお話ししました。 「ありがとうとごめんなさいって、簡単だけどめちゃくちゃ重い言葉ですよね。人として持ってなくてはいけない言葉なのに‥簡単にスッと出たらカッコ良いのに」なぜなのか近しい間柄では出てきづらいことがあります。と。‥(わかります、わかります) 「ごめんなさいはすごく難しい。ごめんなさいは時間が経つと更に言い難くなる。時間が経つとよろしくない。」(本当にその通り)「申し訳ありません、すみませんの方が言い易い。ごめんなさい、の方が短い言葉なのに言い難い。どうしてなのか‥」(そうですよね!本当にそうなんです)そして前から分析をしていた様に続けて、「ごめんなさいって多分本当に思っていて出てくる言葉。申し訳ございません、て、社会的な言葉というか言わなきゃいけないツールみたいなものでとりあえず定文としてあるものの様に思えるんです。」(テンプレートみたいな感じですよね、だから言葉にし易いのかもですね)「そうですね、ごめんなさいはとっさに出てくる言葉。本当にいけない状況になった時に心から出てくる重い言葉なんだと思うんです」そして続けて、「ごめんなさいが出てくる状況を作り出してはいけないんですよね。それが出てくる場面は重大な場面ですね。」と自戒を込める様に言われました。そして筆者もまた自己を顧みて全く同意したのでした。 女将として毎日たくさんのお客様と接し、従業員さんも指導され、言葉選びに日々配慮されてきた佐藤さん、おもてなしも心遣いもそこから始まるのかなとその経験と努力が確かに見えたと思えた一時でした。                                           

 

取材:望月 千賀子

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