七面山・二丁目神力坊 住職 久本 雅俊さん

祈りの地にて 想い、導く

久本雅俊

久本 雅俊さん

古くから日蓮宗の修行の山として開かれた七面山。山門をくぐり表(南)参道に歩を進めると その急峻な傾斜にたちまち息を切らし喘ぐ人が続出します。そこで手を差し伸べる様に最初の休憩所として迎えてくれるのが神力坊です。坊とは寺院さんが僧や檀信徒さんの為に設けた宿泊施設の事で宿坊とも言います。 ほんの少しだけ七面山に登り、住職の久本雅俊さんをお訪ねして来ました。

神力坊・仕事の流儀

自分のやるべき事を自分で気付いてもらう手助け

自己紹介/施設・業務内容の紹介

当坊は寺院ですので 亡き方の供養や悩みの相談、願い事の祈願、又 宿坊としての七面山参拝者の修行場です。

神力坊のお仕事は何ですか?

七面山参拝者の接待や宿坊における食事のご提供、読経によるご供養やご祈願です。

このお仕事を始めたきっかけは何ですか?

父が住職でその姿を見てここで七面山参拝者の色々な後押しが出来たら良いなと思いました。

神力坊の夢は何ですか?

普七面山信仰の本質を問い質し、沢山の人に手を合わせる事の大事さを感じていただきたい。

ずばり、久本雅俊さんとは!!一言で言うと。。。

何があっても慌てない(マイペース)。

早川町の魅力を教えて下さい。

お節介な所もあるかも知れませんが 集落外でも周りの方の事を気に掛けている温かい町。

 

 

 久本さんに好きな言葉をお聞きすると「脚下照顧(きゃっかしょうこ)です。」と言われました。これは禅の言葉で 履き物を揃える、という意味で 転じて、「何をするにも先ばかり見ないで自分を顧みて 心を見つめながらやりましょう。靴を脱いだら揃える、揃えてから心を整えて中に入りましょう。という意味です。」と 教えてくださいました。正式に僧侶になってから二十数年が経つ雅俊さん、穏やかで静かな声のトーンと分かりやすい説明は流石です。

 霊峰七面山の表(南)参道の二丁目にある神力坊、その由来と成り立ちを少しお聞きしてみたところ、神力坊は 元々山門の手前にあったそうなのですが 明治時代に土砂崩れにより倒壊してしまい、その時の土砂崩れで同じく倒壊した蓮華坊さんと一つになり今の場所に移って来たのだそうです。そこはその昔七面山に七面大明神が祀られた前後、その座を譲られ下りられた山の神である伽藍坊大善神が鎮座する場所でもありました。伽藍坊様は下駄を履かれ山中を駆け回り修行される健脚の神様なので 足の神様としてまた七面山登詣の守護神として現在まで大切に祀られています。
久本さんが大切にされている言葉「脚下照顧」、雅俊さんとご家族がこの神様をとても大切に思われお仕えされている事がよくわかります。

 神力坊は七面山の表(南)参道の登山口から七面大明神のお社である敬慎院までの間にある3箇所の坊・休憩所の内、最も手前の登山口近くにあり、厳冬期でも常駐しておられるとても大切な連絡所でもあります。多くの方が容易く登れる訳ではない七面山、登山者の方の安全にいつも配慮して下さっています。例えば「あまり遅い時間に上がられるとなると心配になるので懐中電灯を持って行ってもらったり、上(敬慎院)と他の坊とも連絡をとり心を配ったりチエックしたりします。」と久本さんは言います。お父様である前の住職のお仕事を見て後を継ごうと思ったという雅俊さん、神力坊を預かる立場としての心構えの一つを見せて頂きました。

 僧侶としての久本さんが常々気にかけ心を砕いている事の一つに 『手を合わせ礼を払う』という事があります。「この山を登られる多くの方は七面大明神様を想って来られますが勿論そうでない方もいらっしゃる。その様な方にも(神様という存在に)手を合わせるという事、想いを寄せる事の大切さに気付いてもらいたいのです。」神力坊の宿坊建物の参道挟んで向かいにある伽藍坊様のお堂。「お堂は神様の家、神様の御前を横切る時にはせめて一礼して頂きたい。ちょっと通らせて下さい、とそういう気持ちを持って頂きたいですね。」と言っておられました。「ここ七面山だけの話ではないと思います。世界中に山岳信仰は有り、最近のトレイルランなどでも山に敬意を払い、その地域で昔から祀られてきた神様を大切にしているのだと聞きます。またスポーツ選手もグラウンドに入る前に一礼しますよね?」見に見えないものに礼を払い、その場所を大切にするという事。そしてそれらをわかってもらうにはどうしたら良いのか。どの様に伝えるのが良いのか。
「出来ればご自分で気付いていただくのが一番良いのですが‥」どの様に導いたら良いのか。 真摯に考え悩まれている久本さん、その背中に背負われているものの尊く重い存在に気付かされました。

 久本さんの胸中にいつもあるのは七面山への想いです。「ここを守るということは七面山を守っていかなければならないという事です。歩くしかない山、でもそれが大切な事だと思っています。」何かを感じながら‥体験しながら歩く山。大変だけど自分を試せたり見返る事ができる山。登って降りてくると何かを気付かせてくれる山。だからまた来たくなるのかな‥ と、穏やかに少しにっこりされました。

筆者主観的目線〈言霊〉

穏やかに静かにお話される久本さん、聞き手に正しく伝わる様に また出来るだけ分かりやすくと、気を配りながらお話しして下さっている事がよく分かりました。そしてお話を聞いていて何度か[言霊]という言葉を思い浮かべました 以前、筆者の車のご祈祷をお願いした事があります。正式なご祈祷の白い衣装に着替えて下さり、小さな軽自動車一台の周りをゆっくり歩きながらそれは丁寧にお経を上げて下さいました。数十分程のお経が終わり最後に筆者の名前と車のナンバーが入ったお守りを手渡して下さった時、穏やかな声で語りかけられた「それでは安全運転でお願いします」 極めて普通のこの言葉はそれからというもの筆者の耳元に住み着き、必ず毎回ハンドルを握っている時に語りかけてきます。 決して強い口調で発した音や言葉ではないけれど スっと頭に入り沁み入る様に拡がるけど無くならず 忘れず 刻まれ 思い起こしたりするもの。時と場合によっては人生を変えたり命を守ったりもする力。その様な言葉の力は確かにあるのだなと思いました。

久本雅俊さんの僧侶のお名前についてお聞きしました。 [まさとし]の漢字はそのままで[がしゅん]と読まれるのだそうです。僧侶のお名前というのは全く違うものだと思っていたので少し驚きましたが 何となく近しい感じがして少し安堵の様な気持ちを覚えました。 

 

取材:望月 千賀子

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