江戸屋旅館 望月裕二さん

重要伝統的建造物群保存地区に指定されている赤沢宿。身延山と七面山を繋ぐ講中宿として栄えた集落です。
その中で歴史を刻み続けている江戸屋旅館は古の面影を色濃く残す、美しくどこか懐かしい佇まいのお宿です。

望月裕二さん

 

施設の流儀、おもてなしこだわりポイント

基本的には一日一組だけお泊めするようにしています。本来は大広間を細かく仕切り何組かのお客様をお泊めする造りなのですが、敢えて一組様だけに独占して使っていただきます。200年とも600年とも言われる歴史の片鱗を感じていただきたいと思っています。

施設の仕事の内容を教えてください。

一般の観光の方、ハイキング、トレッキング、登山、七面山に来られる信仰の団体さんの宿泊業とお弁当です。信仰の団体さんのお弁当は長年伝統のおにぎりですね。

この仕事を始めたきっかけは?

家業を継ぐという形ですね。自分が継ぐという流れになりました。正式な後取りということになれば僕で29代目になります。集落の方に調べていただいたら、西暦1400年位から江戸屋はここにあるのではないかということです。1600年頃には確実に旅館を営んでいたと。家の中には記録がなくてちょっと曖昧な状態ですが、日蓮上人の高弟の日朗上人を提灯を灯してお迎えしたとか、赤沢宿全体の記録などから分かってきた事の様です。 また幕末には徳川最後の将軍慶喜公が宿泊され、その時お使いになった《徳川膳》が残されていたりもします。赤沢の人たちは親しみを込めて、「けいきさん」と呼んでいたとか聞きますね。僕が子供の頃から耳にしていた「江戸屋はけいきさんが」って、あ、そういう事なの?じゃあそれはちゃんと伝えないと。と、いう感じです。その辺りは今生きている人が誰かに聞いたりしてギリギリ伝わってきた貴重な史実ですよね。歴史の一端が垣間見えてきたり聞こえてくると、やはりここを残さなければいけないし、歴史的なものを含めて伝えていかなければと多少なりとも感じましたね。

望月裕二さんとは?

まあ、比較的のんびりしていますかね。そんなにあくせく何かしたい訳ではないです。 長年の伝統ある旅館だし、一生懸命お客さん取ろうと思えばとれるんだと思うんですよ。でもそこまでしなくてもいいかなって。団体さんが入る時以外なら、逆に一人だけのお客様とかはなるべく泊まっていただこうとも思っています。

施設の夢はありますか?

もっとより多くの方に来ていただこうという事よりも、ここの文化、地域に興味がある方にその良さや、こういう所ですよというのを伝えていけるようにしたいなぁと思っています。

早川町の魅力を教えてください

良くも悪くも独自の文化がある所かなと思います。やはり外に出てみて大人になってこちらに戻ってきて、人、行事、環境、全てにおいて独特だよなって。僕は小さい頃からここにいて当たり前だったことがそれって大事だよねって事もあれば、それって面倒くさいよねって感じる事もあり、色々あるけどそれに自然とかひっくるめて早川町の魅力なんだろうなと思いますね。

早川町の好きな風景は?

一つは七面山ですね。もう一つは赤沢宿を登って身延方面に向かって行くと宗設坊という場所があるんですが、その手前あたりに赤沢をグッと見渡せる所があります。そこは見晴らしが良いなあと感じます。身延往還は当時高校の競歩大会のコースでそこが休憩場所でした。コースはそこから赤沢を通って角瀬に降りた所でまた休憩場所があり、地元の人がお手伝いしていてくれる訳なんですけど、、「早川の子が誰もこん(来ない)!江戸屋の裕二だけか」なんて言われたりしましたね(笑)。

趣味、特技はありますか?

大学在学中と卒業した後もダンスをやっていました。体を痛める前は子供たち、中学生にも教えていました。最近はテレビを見る、でしょうか。バラエティーやドキュメンタリー、ノンフィクションや問題提起をするような番組が好きですね。箱根駅伝の裏話なども好きです。

 

 

👀筆者主観的目線👀〈軽やかに駆け抜ける〉

江戸屋さんについてのお話をお聞きしていてこの大広間を訪れた人々や、お客様の賑わいをしばし想像しました。そしてその中には歴史上の人物の面影も。かつてのお客様は上からいらっしゃったと、裕二さんのおばあちゃんは言われたそうです。その昔は身延山から身延往還を越えて辿り着いた里山の宿。時代が変わり今の県道、下の道が通って大型バスやマイカーが入るようになり七面山はまた違う賑わいになりました。そして今、コロナの影響はまだありますよと言われる裕二さんのお話をお聞きししていて、また時代が移り変わろうとしている事を感じました。裕二さんが江戸屋は旅館の区分けだけど、かつては山小屋に近い存在ではなかったのかなと言います。そしてその発想を基軸に新しい価値観を見つけて行こうしているのかなと感じました。真冬に一人で江戸屋旅館に宿泊され、とても喜ばれたお客様のお話はお客様にも価値観の多様化が進んでいる事を思わせました。 江戸屋旅館の歴史の重さと厚みは筆者が考える以上のものである事は確かでしょう。

「でも言っても、実家なんで。」これが普通です、帰ったらいつもここなんで(笑)と軽やかに答えた裕二さん、高校時代もこんな飄々とした表情で競歩大会の身延往還を駆け抜けていたのでしょうか。 

 

 

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