旅館 女将 望月 千代子さん

俵屋旅館でつよく、しなやかに、あたたかく
-早川に嫁いだ女将の生る道-

俵屋旅館

つよく、しなやかに、あたたかく -早川に嫁いだ女将の生る道-

望月千代子

俵屋旅館 女将
望月千代子さん
Chiyoko Mochizuki
1950年5月10日生

居住地 :早川町高住
出身地 :埼玉県秩父市
性格 :言ったことには責任を持つ
好きな言葉 :温故知新
趣味 :歌舞伎鑑賞
特技 :物怖じしない
早川町の一番好きな場所 :我が家
スキル :仕事に使う国家資格は全て持っている
職種 :旅館業/旅客自動車運送業

 日蓮宗の霊山・七面山――その登山口がある本建地区は、今なお多くの信徒が訪れる。まさに、信仰に生きる山里だ。その一画は通称、角瀬(すみせ)と呼ばれる。ここに俵屋旅館はある。旅館の他にも、旅客自動車運送業(タクシー、バス)を営む。それが俵屋旅館だ。 年間を通じて七面山へ参詣する団体を迎え入れている。多い時には1日で600人という信徒さんを迎え、七面山へと送り出す。 ここ、俵屋旅館を切り盛りするのが、笑顔の素敵な女将の望月千代子さんだ。

 女将の出身は埼玉県で、もともとは東京で教鞭をとっていた。そして、今から40年前早川町生れの夫のもとに嫁いだ。初めて早川に来たとき、思わずこう言った。 ――「え!ここ!?」。それが早川の第一印象だった。地縁を大事にする地域での人づき合いも、最初は慣れなかった。  「でも早川に来たのは、自分で決めたこと」、そう決意した。その後、二男一女をもうけ、今では二人の息子も一緒に働いている。意思のつよさ、新しい環境を柔軟に受け入れる、しなやかさ、家庭を大事にする、あたたかさ。そんな人柄が千代子さんにはある。

 もともと俵屋は米屋であり、米の配給や雑貨を販売していた。昭和45年に夫の両親が旅館営業を始め、俵屋の基盤をつくった。旅館ができたころは、毎日のように、七面山の信徒さんが訪れていた。

 信徒さんの朝は早い。夜は早めに就寝し、まだ辺りが暗いうちに起床して、七面山に登る。俵屋では、修行者へ持たす弁当を深夜2時からスタッフ総出で作り始める。通常営業とは違うスケジュールにも柔軟に対応して、「自分たちのできる範囲で」と、お客さんの要望に答えている。お客さんをもてなす料理の食材は、極力地元の食材を使い、心を込めて手作りをする。自家製の梅干しと手作り味噌は、女将のこだわりである。

 信徒さんが利用する大広間には、祖父母の代から掛けられている日蓮宗の「御曼荼羅」がある。「江戸時代から祖父母の世代まで、七面山をとても大切にしてくれていた。今の旅館があるのもその時の功徳である」と、先人へ思いを馳せ、日々感謝している。そして、先人が築いたものを大切にしながら、お客さんの新たなニーズを汲む発想と行動力で、最近では温泉を引き、新たに入浴施設を建設中である。 入浴施設がオープンした暁には、宿泊者は元より、日帰りのお客さんにも温泉に浸かり、疲れを癒して帰路についてもらいたい。そんな思いに、女将の心意気を感じる。そして、「働く人は宝!」、と女将は意気込む。日々旅館の運営を支えている従業員も、大切にすることを忘れない。

 女将には信念がある。それは、「自分で言ったことには責任をもつ!」ことだ。自分たちが営んできた俵屋旅館をとことん遣り抜いて、基盤を安定させ、強化する。その先は孫の成長を見守りながらゆっくり過ごしたい。旅館の将来は、後を継ぐ意志のある二人の息子に託すことになっている。今すぐには経営のバトンを渡さないが、息子の世代になったら時代の変化に合わせて、どう経営していくのかを自分たちで判断していって欲しい。しかし引退後も、母として後ろから支えてく。

 早川は私にとっては生きる場所であり、子供達にとってはふるさとだから、これからも大切にしていきたい。 私は早川に生かされてきたから、生きていける。妻として、母として、女将として、早川とともに生きる。それが俵屋旅館女将の生きる道。

 これから後を継ぐ世代。その歩みと俵屋旅館の新展開とともに、ご期待ください!

編集サポーター

俵屋旅館石橋弘之さん(早稲田大学人間総合研究センター 招聘研究員)
角田一樹さん(早稲田大学人間科学部 学生)


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