岳龍窯・米山 久志さん

手のひらの中の紅梅

岳龍窯
米山 久志さん

早川町の南西部、早川に合流する雨畑川に削られた深い谷に寄り添う様に立ち並ぶ家々。 古より高品質の硯の産地として名高い雨畑地区です。その静かな佇まいの集落に住まいと工房を構えて創作活動を続ける米山久志さんにお話を聞いて来ました。

岳龍窯・仕事の流儀

使いやすいものを作る。焼き物は美術品ではないので。生活に溶け込む器作り。

自己紹介/施設・業務内容の紹介

普通の人です(笑)。陶磁器の製造です。

この仕事を始めたきっかけは何ですか?

テレビで見た陶芸家の生き様。

岳龍窯の夢は何ですか?

工房の周りに梅を増やしたい。梅林。

ずばり、米山久志とは!!一言で言うと。。。

普通(笑)。73歳になるが歳を感じない(笑)

 

 

 米山さんと言えば代名詞にもなる作品が〈青磁梅花文〉シリーズです。明るいグレーの地にほんのりと色の馴染みよく数輪の紅梅が描かれたカップ。愛らしい作品を見せて頂きながら、先ず米山さんと陶芸の世界との出会いについてお聞きしました。

 米山さん、元々は絵画の制作をされていたのですが ある日TVで見かけたとある番組に釘付けになったそうです。それは岐阜の荒川豊蔵さん(後に人間国宝である事を知ったそう)という陶芸家のドキュメントでした。その溢れるパワー、髪を振り乱して作品作りに没頭し真剣に作業する姿に強く心を打たれ、放送を見た翌日には電車に乗って現地を訪ねた程でした。それから様々な人と出会い、また縁もあり茨城県の笠間焼きの窯元で技術と考え方を学び、その伝統ある中にも自由で幅の広い作風の中で修業時代を過ごしたのだそうです。その頃江戸時代の陶工尾形乾山の梅花の作品に出会い、それを[写し]という技術の勉強の目標にしていた事により、独立時の作風とそしてその後の青磁梅花文のシリーズが創作される事になったと言われました。

 興味を持ちこれだと思ったら「すぐに行動するのは自分のスタイルです」と言う米山さん。焼き物の製作拠点を探す為あちらこちら訪ね歩き、人の紹介を経て現在の早川町雨畑に移住したのですが、この地に決めた理由の一つにここ早川を拠点とすれば周辺地方都市が行動圏内に入ると思ったというもの。車で2時間程の移動なら苦にならないね、と笑いながら話されました。米山さんの創作活動を支える大切なものの一つがこの体力と行動力、フットワークの軽さの様に思います。 
  芸術の世界を志し生業とされている方がどの様なきっかけでその道に入って行かれるのか、興味を持ってお聞きしましたが、自分の心に正直に、惹きつけられるものに真っ直ぐに向かい、自分で動いて確かめたらそれを掴みに行く熱量の大きさの大切さを感じました。多分それはこんな風に理屈で考える前に気が付いたら行動しているという事でしょうか。

 米山さんが作陶される時に特に気にされるのは女性の意見や評価だと言われました。それは長い時間家事をする人という意味で、圧倒的に陶器を手に取り扱う時間が長いから、という理由です。毎日触り 持ち 運び 洗い 重ね それを繰り返したり。その日常の動作の中で所謂良いもの、使い勝手の優秀なものが感覚的に分かっているんだよねと。
随分以前の事ですが米山さんはご自分を「芸術家というより職人だと言ってもらいたい」と言われていた事がありました。今回、使う人の情報を集めて吸収してこなしていく、その需要に応えていくのが職人の仕事だとも言われました。「(自分は)使う人、使い勝手の良さを考えながらやってきたつもり。奥深い様で身近な話。難しい話ではないよ。」陶芸家という肩書きのすぐ側にある職人の気概が見えた時でした。

👀筆者主観的目線👀〈梅林の中に〉

米山さんは工房の周りに梅の木を増やしたいと言われていました。工房からすぐ側に梅が見える様なロケーションがあったなら‥と。米山さんは修業時代から梅の花にはひとしおの愛着を持っておられるのでしょう、出来れば梅林になる位に増やしたいとも。梅はとても丈夫で育てやすい木であり「山梨には昔から[甲州野梅]という品種もある事だしね」と 目を細めて言われました。香り立つ梅林の中にある陶芸の工房、その中で創り出される青磁梅花文の陶器。‥それはなんと素晴らしい光景でしょうね‥筆者も思わず想像してうっとりしてしまいました。梅は早春、数多の花の中でも最も先駆けて咲き人々に喜びをもたらす存在でもあります。そんな素晴らしい場所が早川町の山深い所に忽然とあったなら。 ・・・ 一瞬にして筆者の頭の中に夢が膨らみました。そしてそれは実現できる夢ではないかと思えて来るのです。

取材:望月 千賀子

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